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マヤプールに主ナラシンハ像を迎えるまでの道のり




今年の5月25日はナラシンハ・チャトゥルダシーといって、みなさん親しみがある主ナラシンハの降誕祭です。ナラシンハは悪魔的な父親から自身の献身者であるプラフラーダを守るために現れた半分ライオン、半分人間の姿をした、主クリシュナの化身です。


今回は皆さんもご存知、マヤプールのイスコン寺院で崇拝されているナラシンハの神像に関するお話を紹介したいと思います。


ナラシンハの神像にもたくさんの種類があり、その姿に応じて名前が異なります。ヴィハゲーンドラ・サンヒタには70以上、ナラシンハの姿が述べられています。手に持っていらっしゃる武器の配置や、姿勢、ムードによって区別されます。



その中でも、ウグラ・ナラシンハの姿は主の最も恐ろしい姿とされています。イスコン・マヤプールではそんなウグラ・ナラシンハの神像が崇拝されています。どのように主ナラシンハがマヤプールにやってきたのか、そのお話もとても不思議なので、シュリーラ・プラブパーダのお弟子さんであるアトマ・タットヴァ・プラブの経験を基に、紹介したいと思います。


そもそも、主ナラシンハの神像を迎え入れるきっかけとなったのは、1984年の3月、35人の強盗団による襲撃でした。彼らは献身者に嫌がらせをしたり、攻撃したりして、最後にはシュリーラ・プラブパーダの像(ムルティ)とシュリーマティ・ラーダーラーニーの神像を盗もうとしました。献身者たちは勇敢にも強盗団に反撃をし、シュリーラ・プラブパーダのムルティを取り返したのですが、シュリマティ・ラーダーラーニーの神像は奪われてしまいました。二度とこのようなこのことが起きないために、寺院の運営側は主ナラシンハの神像を迎え入れることにしました。以前献身者たちが強盗によって悩まされていた時、シュリーラ・バクティヴィノーダとシュリーラ・バクティシッダーンタ・サラスヴァティ・タクーラがラクシュミー・ナラシンハの神像をすぐに迎え入れ、襲撃はすぐになくなったからです。

しかしナラシンハの神像を迎え入れるとなると、崇拝はとても厳格でなければならないのと、プジャーリーは生まれた時から独身でなくてはなりません。そのため、他の献身者たちはあまり賛成しませんでした。それでもお寺の副監督は主ナラシンハをマヤプールに呼ぶことにとても熱心でした。彼はバクティシッダーンタ・ダーサとアトマ・タットヴァ・ダーサにスケッチをお願いし、突然、神像の足は今でも飛び跳ねるかのように曲がっていて、猛々しい顔で周りを見渡し、指は曲がっていて、頭からは炎が出ているべきだと言い出しました。これに従ったスケッチが描かれ、献身者たちはそれを見て喜び、パンカジャングリ・プラブーがナラシンハの崇拝を受け入れました。

アトマ・タットヴァ・プラブは神像の彫刻を依頼するため、南インドに行き、有名なスタパティ(神像を彫刻したり、寺院のデザインをする専門?)を見つけました。しかし彫刻をしてほしいのがウグラ・ナラシンハの姿だと聞くと、彫刻師は断りました。その後たくさんの彫刻に依頼したのですが、全員断りました。やがて最初のスタパティにお願いし、スタパティは神像の彫刻などに関する経典からの一章を読み上げました。そこには炎のような立髪、あたりを見渡すような視線、今にも飛び出しそうに膝が曲がっている様子が描かれており、それを聞き、アトマ・タットヴァ・プラブは驚きました。なぜならこの描写はスケッチ通りだったからです。彼はスタパティにスケッチを見せ、感心したスタパティは経典に基づいた神像のスケッチを書きました。しかしスケッチはしても、彫刻はしないと念を押されました。

アトマ・タットヴァ・プラブはマヤプールに戻り、スタパティによるスケッチを見せました。皆、このスタパティに神像を彫って欲しいと思いました。アトマ・タットヴァ・プラブはスタパティを説得するため、南インドに戻りました。彼はどうすれば説得できるか、とても悩みました。しかしスタパティの家に入り、説得できる前に、スタパティは当たり前かのように神像を彫刻することを承諾しました。


スタパティは自分にグルにこの依頼について尋ね、グルはすぐに「受け入れてはいけない。受け入れれば、家族が破壊される」とおっしゃいました。しかし少し間を置き、誰がこの神像の彫刻を依頼しているのか尋ねました。ナヴァドヴィーパのハレー・クリシュナの人たちだと聞き、彼らはウグラ・ナラシンハを彫刻し、設置することの意味を知っているのか、崇拝を怠ればどんな災難が起こるのか知っているのか、聞きました。スタパティはイスコンの人たちがとてもしつこく、何度も依頼してくると返事しました。彼らが強盗団による襲撃で悩まされていることも説明しました。そしてグルにスケッチを手渡しました。グルはそれをみて、「ああ、これはウグラの一種ですが、このムードのナラシンハはスタヌ・ナラシンハと呼ばれている」と言いました。「この惑星には存在しておらず、天空の惑星の神々でさえこの姿は崇拝しません。この神像はウグラ、すなわちとても怒っている姿を表すのですが、彼らが求めているのはその中のスタヌ・ナラシンハ、柱から飛び出している姿」だと。そしてグルはスタパティに「この神像は彫ってはいけない。あなたにとって吉兆ではない。このことに関しては後で話す」と言いました。その数日後、スタパティはある夢を見ました。

夢の中でグルが現れ「彼らのためなら、スタヌ・ナラシンハを彫刻してもいい」と言ってきたのです。その次の日、グルからの手紙が届き、そこには「イスコンのためならスタヌ・ナラシンハを彫ってもいい」と書かれていました。これがきっかけで、スタパティはイスコンのためにナラシンハの神像を掘ることを承諾しました。

その後、何ヶ月もかけ、スタパティは神像に適した石を見つけました。ヴィシュヌ化身の神像のためにはとても特別な生きている石が必要であり、二つのテストを通らなくてはなりません。

またこの間、アトマ・タットヴァ・プラブはプラフラーダのムルティも彫って欲しいとスタパティに依頼しました。それを聞き、スタパティは不可能だと答えました。経典に沿って、神像を作るとなると、イスコン側が求めいたナラシンハが1メートルであったため、プラフラーダはアメーバのサイズになってしまうからです。しかしイスコン側は30センチほどのプラフラーダの神像を求めていました。両者はプラフラーダの姿に関して言い争い、最終的にスタパティは諦め、プラフラーダ・マハラージャを30センチで彫刻することを承諾しました。

一年ほどかけ、スタパティは神像を掘りました。完了した後、彼はすぐにアトマ・タットヴァ・プラブに伝えず、数日間友人に会いに行くことにしました。モンスーンの時期だったため、主ナラシンハをわらぶきや古屋に保管しても大丈夫だと思っていました。数日後、近所の人たちが彼の古屋が燃えていると言ってきました。大雨で全て濡れていたにもかかわらず、古屋の屋根が燃えていたのです。彼はその場に駆けつけ、ナラシンハは無事であることを確認しました。しかし彼の古屋は灰になっていました。彼はすぐにアトマ・タットヴァ・プラブに電話し、「お願いだから早くあなたの神像を取りにきてくれ。すべて燃やされてしまった。主はいますぐそこに行きたいことをとてもはっきり示している」と言いました。

アトマ・タットヴァ・プラブは南インドに戻り、砂を入れたトラックを借り、スタパティの元にやってきました。でもそこでナラシンハはとても重い神像であることを忘れていました。2、3時間ご、彼らはやっと神像を持ち上げ、トラックに載せました。普段なら国境を越えるには警察の許可、税務署や考古学の所長のサインが入った書類などが必要で、彼らは全員書類をサインする前に、神像を見せるよう要求してきました。しかし一度主ナラシンハのダルシャンを取ると彼らはとてもすみやかに、親切に書類をサインしました。普段はとても時間かかるこのプロセスも、24時間以内で済みました。普段は設置の儀式の時に、スタパティが寺院を訪れ、神像の目を掘り、またプラナ・プラティスタと言って、生命を入れる儀式とプージャとアラティが行われます。しかし今回は特別に、スタパティがそれらの儀式を既に行っていました。アトマ・タットヴァ・プラブ曰く、これらの儀式が行われていたため、主はすでに神像としてその場にもういたため、書類の準備や移動があれほどスムーズに行ったのです。その後、三日間、主ナラシンハ像の設置の儀式が行われました。このようにして主ナラシンハはマヤプールのお寺にお現れになったのです。


マヤプールのナラシンハ像はスタヌ・ナラシンハと言われ、、悪魔をやっつけ、献身者を守ろうと今にも柱から飛び出しそうな姿を表しています。しかしガウランガの地に現れているため、普通のウグラ・ナラシンハとは異なります。なぜなら、マヤプールのナラシンハはそのお寺の主要な神像、主ニッティヤーナンダと主ガウランガのムードを持っているからです。そのムードは献身者の過ちを見過ごし、彼らの献身のみを見て、クリシュナへの愛を授けるムードです。なので、マヤプールのナラシンハ像は一見恐ろしく見えるかもしれませんが、とても献身者を愛しており、慈悲深いのです。主ナラシンハはバクティの道の障害となるものを取り除いたり、問題を解決すしてくださり、献身者をいつも守ってくださいます。長年プジャーリーをしており、先日この物質世界を旅立たれたパンカジャングリ・プラブ曰く、ナラシンハはクリシュナに仕えようとする献身者を助けることに喜びを感じるそうです。


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