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現代で見られるラーマーヤナの教え



前回はラーマーヤナのお話をかなり要約して紹介しましたが、今回はラーマーヤナの数多くの教えから、プラブパーダの人生において、ハヌマーンやジャターユのような行動を見ていきます。


ハヌマーンのようなプラブパーダ

ハヌマーンはラーマの偉大な献身者として、主ラーマに愛情をもって、献身的に仕えました。彼は主ラーマへの奉仕として、シータを見つけ、彼女を勇気付けるため、ランカへとかなりの距離をジャンプしました。

→ シュリーラ・プラブパーダは69歳という歳で、精神的知識を広めるため、大海を渡りました。


ハヌマーンは悪魔のような人々が蔓延る場所でシーターを一生懸命探し、見つけ出しました。

→ プラブパーダも物質的な人々で密集している世界の中に、スピリチュアルなことに興味を持っている人々を見つけ出し、精神的な知識をお与えになりました。


ジャターユのようなプラブパーダ

年老いたジャターユは自分を犠牲にしながらも、勇敢にラーヴァナと戦い、シーターの誘拐を止めようとしました。

→ プラブパーダも不可能に思えた使命を全うするため、自分の健康を犠牲にし、69歳という歳でアメリカへ渡ったのです。ラーヴァナによるシーターの誘拐は、誠実な魂を献身奉仕から遠ざける物質主義と快楽主義の発達を象徴し、それらの発展を食い止めるというプラブパーダの使命は、ジャターユのそれと同じように、不可能に思えました。プラブパーダはインドでいろいろな人にどうせ失敗に終わると、健康にもよくないと、諦めるよう勧められていました。しかし主の奇跡的な慈悲によって、プラブパーダはこの不可能な任務をあらゆる方面で成功させたのです。


このような大きな犠牲を払うことはなくても、私たちは自分たちのできる範囲で何かを犠牲にしたり、貢献することができます。ランカへの橋を作るのを手伝った猿たちのように、誠心誠意、主に仕えようとすると、今まで気づかなかった隠れた能力や力を発見することがあるのです。


私たちが学べることは?

私たち精神的探求者にとって、最も重要な教えは、ラヴァナに誘拐され、主ラーマから離れ離れになってしまったシータから得られます。


ー 私たちも主から離れていて、ラーヴァナを彷彿させる物質主義が蔓延る物質存在の中に捉えられている 

ー シータがラーヴァナによって捕らえられた様に、私たちも物質存在のなかに捕らえられている。

ー シータはラーヴァナによる申し入れや誘惑をすべて強く拒否し、主ラーマを常に思い出し、主への揺るぎない献身を表した。私たちもどれほど周りの人々に誘惑されようが、肉食、賭博、陶酔、不正な性行為を断固と拒否し、主への揺るぎない献身を示すことができます。周りからのプレッシャーも、シーターの例を思い出して、耐えることができるのです。シータはいうことを聞かなければ殺されると、脅迫されていたにもかかわらず、彼女は決心を曲げなかったのです。また、私たちはシータのように主を思い出し、集中することで、決心を強めることができます。



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