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献身者でない人たちとの交流



非献身者との交際の放棄

「教えの甘露」三つ目の教えに述べられている、純粋な献身奉仕の遂行に好ましい6つの原理 ー 熱心であること ー 自信をもって努力すること ー 根気強くあること ー 宗教原則に従うこと(クリシュナのことを聞き、唱え、思うことなど) ー 献身者でない人との交際を放棄すること ー 先人のアーチャーリヤたちの足跡に従うこと


「教えの甘露」解説から抜粋 献身奉仕において成功をおさめるには、望ましくない人との交流を放棄することです。これはカルミー、ジュナーニー、ヨギー、そして非献身者を指します。シュリー・チャイタニヤ・マハープラブが世帯者の献身者のひとりにヴァイシュナヴァ文化の原則について、そしてヴァイシュナヴァの日課を問いかけられた際、主はすぐにこうお答えなさいました。 asat-saṅga-tyāga,—ei vaiṣṇava-ācāra: (CC Madhya 22.87) 「特徴として、ヴァイシュナヴァとは世俗的な人、また非献身者との交際を放棄捨てた者を指す。」ゆえに、シュリーラ・ナロッタマ・ダーサ・タークラはこう勧めています。tāṅdera caraṇa sevi bhakta-sane vāsa 純粋な献身者の間で暮らし、先人のアーチャーリャたち、六人のゴースヴァーミー(シュリー・ルーパ・ゴスヴァーミー、シュリー・サナータナ・ゴスヴァーミー、シュリー・ジーヴァ、ゴスヴァーミー、シュリー・ラグナータ・ダーサ・ゴスヴァーミー、シュリー・ゴパーラ・バッタ・ゴスヴァーミー、シュリー・ラグナータ・バッタ・ゴスヴァーミー)が定めた宗教原則に従うべきだと。献身者との間で暮らしていれば、非献身者と交際する機会はほとんどありません。イスコンがたくさん寺院を開いているのは、人々が献身者たちと共に暮らし、精神生活の原則を従えるよう場所を作るためです。

なぜ?

1. 献身者と共に時間を過ごすことで献身奉仕について学び、信念を強めることができる。

2. 献身者ではない人との交流を避けることで、物質的な習慣や悪い習慣に何度も汚れずにすむ。


これは初期の期間において、特に大切です。でなければ、献身生活に真剣に取り組むことが難しいからです。


シュリー・チャイタニヤ・チャリタムリタ、マディヤ・リーラ 23.14

adau sraddha tatah sadhu- sango ’tha bhajana-kriya tato ’nartha-nivrttih syat tato nistha rucis tatah 初めは信念がなければならない。そうすれば純粋な献身者たちと交流することに興味を抱くことができる。その後、精神指導者から入門を授かり、グルの指示下で宗教原則に従う。やがて望ましくない習慣から解放され、献身奉仕に立脚することができる。そして後に味わいと(献身奉仕に対する)愛着を育む。

交際を望む気持ちは自然に消えていく?

シュリーマド・バーガヴァタム 1-19-16の解説 献身者の敵はたくさんいるかもしれませんが、献身者はだれも敵とは思いません。献身者は、献身者ではない人々に対して敵意はないのですが、彼らとのつきあいを望みません。主の献身者との交流を望んでいるのです。類は友を呼ぶ、と言われているように、それは自然な感情です。


家庭や仕事、学校では?


交際には2種類

  1. 与える交際

  2. もらう交際

友人や職場の人に交際を与える(プラサーダムを配ったりなど)はいいとしても、もらう交際(飲みの誘いに乗るなど)は避けるべきです。


交際を避ける ≠ 嫌悪する

非献身者との交際を避けるというのは彼らを完全に避けるという意味ではなく、執着を避けることを指します。クリシュナも物質的な物に執着するなとおっしゃっています。別にこの世界を憎めとはおっしゃっていません。


私たちは執着心をもたず、日々の義務をに全うするべきです。慈悲の心から人々に話しかけたりするのは執着ではありません。また、無執着とは他の人や物を嫌うという意味ではありません。すべてがクリシュナから来ていると知っている献身者は、周りの人々には優しく、丁寧に接します

シュリーマド・バーグヴァタム 3-21-31解説 主の寺院に行き、大いなる献身の心で崇拝するが、一般の人々に哀れみの心をもたず、他の献身者に敬意を表さない者は3級の献身者と考えられます。2級の献身者は墜落した魂に慈悲深く、哀れみ深いのです。2級の献身者は常に主の永遠なるしもべとしての自分の立場をわきまえているため、主の献身者と友情を育み、一般大衆には哀れみの心から献身奉仕を教え、献身者でない者とは協力や交際を避けます。


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