この行事は主ジャガンナータが向かうグンディチャ寺院を清浄し、掃除することを指します。今年は7月10日に行われます。
ジャガンナータ寺院はドヴァラーカ? グンディチャ寺院はヴリンダーヴァナ?
ジャガンナータ・プリではラタ・ヤトラ後の8日間、主ジャガンナータと兄のバラデーヴァ、妹のスバードラがグンディチャ寺院に滞在します。そしてその後、ニラチャラへと戻る帰りのラタ・ヤトラが行われます。
ラタ・ヤトラは数千年前から続いてるのですが、ラタ・ヤトラとグンディチャ寺院の清掃の重要性は、500年前、主チャイタニヤ・マハープラブがジャガンナータ・プリで暮らしていた頃に示されました。
主チャイタニヤの超越的な心の中では、ニラチャラにあるジャガンナータの寺院はドヴァラーカ(主クリシュナが王子として暮らしていた場所)、そして時々クルクシェートラ(バガヴァッド・ギーターで描写されている戦争が行われた場所)を現し、スンダラチャラにあるグンディチャの寺院はヴリンダーヴァナを現していました。そして主チャイタニヤにとって、ラタ・ヤトラはヴリンダーヴァナの住民がクルクシェートラでクリシュナに再会し、長い離別の後、ヴリンダーヴァナにクリシュナを連れ戻そうとしているのを現しています。
グンディチャ寺院の清掃
行きのラタ・ヤトラと帰りのラタ・ヤトラの間の8日間、ジャガンナータ、バラデーヴァとスバードラがグンディチャ寺院に滞在するのですが、それ以外の時、寺院には誰もいません。そのため、一年中あらゆる埃と汚れが積もります。特にインドでは構造上、寺院が外気にさらされているため、簡単に埃っぽく、そして汚くなってしまいます。
そのため、グンディチャ寺院に主ジャガンナータが訪れる準備として、主チャイタニヤはお寺の管理人に自分たちで寺院を掃除できるか尋ねました。管理人たちは掃除など、主チャイタニヤに相応しくない奉仕だと思っていたのですが、主の望みであるなら、掃除に必要な用具を全て揃えると答えました。
そこでバケツとほうきが100個用意され、主チャイタニヤは大勢の献身者と共に、寺院の掃除を始めました。まずはわら、埃、砂をほうきで一つの場所にまとめ、自分の布にあつめ、寺院の外に捨てました。他の献身者たちもそれを真似して、みんなで一年の間に散り積もった汚れと埃をきれいにしました。
掃除中、主チャイタニヤはひとりひとりの献身者がきちんと掃除しているのか観察なさっていました。上手に掃除している献身者を見ると、その人を褒め、そうでない人には正しい方法を教えていました。このように、主チャイタニヤはアーチャーリヤがどのように献身者たちを指導するべきか示しました。また言葉で教えるだけではなく、自分の例を通して、献身者たちに指導なさいました。主が集めた埃やちりの山は、他の献身者が集めた分を合わせた量よりも、大きかったのです。
掃除中、主チャイタニヤは自分のきている衣服を脱ぎ、それを使ってお寺をきれいにしました。これは主チャイタニヤは自分の衣服を使ってでも主の住居、王座をきれいにするという、真剣さを現していると、シュリーラ・プラブパーダはおっしゃっています。
ゴミを捨てた後、主チャイタニヤと献身者たちは再度寺院を掃除、見落としたかもしれないより細かい砂や埃を集めました。その後、丁寧に寺院を洗いました。バケツを使って水を大量に流し、天井、壁、床、全て洗いました。主チャイタニヤ御自身、自らの手で主ジャガンナータの座る場所を洗いました。
それでも埃がまた寺院内に入ってしまうのを懸念し、主チャイタニヤは他の献身者たちと寺院の外も掃除しました。そして水を流し、新しい埃が入らないようにしました。
清掃後、寺院は主チャイタニヤの純粋な心のようにきれいで清らかで、他の献身者たちを心地よくしました。そして清掃によって、彼らの心も清められました。
寺院をきれいにする大切さ
シュリーラ・プラブパーダは寺院をきれいにすることは、心をきれいにすることであり、神像にまつわる道具や品々などを磨くことは、自分のハートを磨くことだとおっしゃっていました。グンディチャ寺院の掃除はただの掃除のお話ではなく、どのようにして自分たちのハートを磨いていくべきなのかを教える比喩のようなものです。お寺は主がおすわりになるにふさわしい場所にするために掃除され、同様に、私たちも主が座るにふさわしい場所にするため、ハートをきれいにしなくてはなりません。もちろん主はいつも生命体のハートに宿っているのですが、主が喜び、遊戯を繰り広げられるような場所にするため、心をきれいにする必要があります。
グンディチャ寺院が何回も清浄された理由
主チャイタニヤは最初はほうきを使ってわらや埃、砂を集め、その後に水を使って小さな埃を流しだし、最後には自分の衣服を使って主ジャガンナータの王座を磨きました。これは私たちが心を綺麗に磨くための手段でもあります。最初は明らかな罪深い行動をやめることです。特に4つの宗教原則を守ることから始まります。そして4つの宗教原則が守れるようになったらもっと細かい心の汚れを磨きます。どのような動機で献身奉仕を行っているのか、他の献身者に対する妬みや怒りを抱いていないか、心の中を見つめて、不必要なものを取り除く努力が必要です。このように私たちは完全に解放されるまで、心は完璧に綺麗ではないので常に心を磨く努力をしなければなりません。主チェイタニヤと彼の献身者たちが一生懸命にお寺の清浄に取り組んだ姿も、心の清浄は懸命に行うべきものだと教えてくださっています。
ハートを綺麗にするには
皆さんももうご存知のように、このカリ・ユガの時代でハートを浄化する一番の方法はマハー・マントラを冒涜なしに唱えることです。
ルーパ・ゴースヴァーミーへの指示で主チェイタニヤはバクティ・ラタ・ビージャ、つまり献身奉仕の種を比喩として使いました。この種を授かったら献身者は庭師として主について聞き、唱えることで水やりを行う必要があります。そして水やりをする際、雑草をきちんと抜かなくてはいけません。雑草の手入れをしないと、雑草が水を全て吸いあげ、いずれバクティの芽より強くなり、せっかく芽生え出したバクティを台無しにしてしまう恐れがあるからです。心の雑草は物質欲望を例えています。
さらに、主チェイタニヤは芽をフェンスで囲み、暴れた像から守る必要があると説明されます。暴れた像が庭を侵入すればせっかく育てられた植木が台無しになってしまいます。暴れた像はヴァイシュナヴァ・アパラーダを象徴し、芽を囲むフェンスは純粋な献身者たちの交際を象徴します。私たちは常に純粋な献身者たちの交流を求め、彼らのそばにいることでバクティの芽を守ることができます。グンディチャ寺院の清浄で主チェイタニヤは寺院の外をも掃除したのは新しい埃が清浄された寺院に再度入ってこないためです。これはまさに悪い交際を避けるためにフェンスを立てるのと同じです。
なかなか心がきれいにならない!
よくある質問や悩みが、最初にクリシュナ意識を始めたときはとても新鮮で、楽しく、簡単で、たくさん進歩しているのを実感していたのに、時間が経つにつれ、全然向上していないように思えて、自分の悪い質ばかり見えて、どんどん難しく感じる、という悩みです。
しかし大切なのは、向上とは必ずしも一直線ではないことです。山を登る際、全体的に見て登っていたとしても、時には下がったり、時には上がったりもします。同様に、一見停滞、または下がっているように見えても、実際にはバクティの道を少しづつ進んでいっているのです。大切なのは根拠よく、そして信念をもってバクティを続けることです。
また先ほど述べたように、物質的欲望などの雑草を心から取り除く必要があります。意識的にこれらの雑草を取り除いていかないと、バクティの芽の成長の妨げとなってしまいます。またバクティの芽を台無しにしてしまう行動の一つが他の献身者への冒涜や悪口をすることです。私たちは自分の欠点に集中し、他の献身者たちの良いところ、見習うべきところに集中するべきです。
バクティの道で向上し続け、新鮮さを保つには以下の二つが進められています。
1 自分よりも向上している献身者や純粋な献身者との交際
2 プリーチング クリシュナ意識に新しい人にバクティを教えることで、その人たちの喜びや変化を見て、クリシュナ意識を始めたときの喜びと新鮮さを思い出せます。また、人に質問などを聞かれることで、学んだことを思い返し、クリシュナのことを考えなくてはいけないので、意識的にクリシュナのことを考えるきっかけを与えてくれます。
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