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プラブパーダのグル、バクティシッダーンタ・サラスヴァティ・タクール


先週はニッティヤーナンダの降誕祭を祝うために、主ニッティヤーナンダと主チャイタニヤの特別な遊戯を紹介しました。今回は主チャイタニヤの慈悲が世界中に広めるのにあたって、重要な存在であったバクティシッダーンタ・サラスヴァティ・タクールについてご紹介します。


今週の3月4日はイスコンの創設者シュリーラ・プラブパーダの精神指導者であるバクティシッダーンタ・サラスヴァティ・タクーラの降誕祭です。このクリシュナ意識が世界中に広まったのも、プラブパーダが自身のグルに西洋に主チャイタニヤの教えを広めるよう指示なさったからです。プラブパーダはいつも自身のグルに完全なる信念を持っており、すべての功績は自分のグルのおかげだとおっしゃっていました。


生まれ

主チャイタニヤがこの世から去った後、残された教えはどんどん汚れていき、宗教原則が全く守られないのが普通になってしまっていた。そんな現状をみて、後にサラスヴァティ・タクーラの父となるバクティヴィノーダ・タクーラは絶対真理を再びこの世の中に広めたいと思っていました。しかし、一人だけでは心細いので、一人でもいいので、誰か助けてくれる人を望んでいました。そんな時、1874年2月6日、ビマラ・プラサーダ(バクティシッダーンタ・サラスヴァティ・タクーラ)が生まれました。


彼は「主の慈悲である者」という意味をもって「ビマラ・プラサーダ」と名付けられました。彼は手足に吉兆な印を持って生まれました。


幼少期の武勇伝

ラタヤトラが家の前で3日間も止まる! (ジャガンナータが動きたくない!という意思があると、どんなに大勢がカートを引っ張っても、カートは動きません笑)

両親がビマラ・プラサーダにダルシャンを取らせるために連れて行くと、赤ん坊はジャガナータの御足を触ろうとして、大きなマハーガーランドが落ちてきたのです!


ビマラ・プラサーダは2歳の時。まだ主に捧げられていないマンゴを食べたい!と思ったのですが、父はまず食べ物を主に捧げてから、いただくべきだと教えました。反省したビマラ・プラサーダはそれ以来マンゴを一切口にしないことに決めたのです。


7歳の時にはすでに数学、天文学、占星術を完璧に理解し、サラスヴァティの称号(学問の神)を授けられました。10歳の時には、学識のある者も理解できないような数々のサンスクリットのテキストを校正しはじめました。


16歳の時、瞑想クラブを開き、参加者は一生性行為をしないことを誓うのですがが、唯一守れたのがサラスヴァティ・タクーラでした。そこでサラスヴァティ・タクーラは生涯ブラフマチャリ (nistaka brahmacari)として過ごすことになりました。



ガウラ・キショール・ダース・ババジとの出会い

サラスヴァティ・タクールがマヤプールにいた頃、ヴリンダーヴァナから偉大な献身者、ガウラ・キショール・ダース・ババジがマヤプールを訪れました。ガウラ・キショール・ダース・ババジはサラスヴァティ・タクールをみて、彼にクリシュナの御名が入ったティラク、そしてジャパをするために結び目が施された縄を渡しました。


入門の申し出

サラスヴァティ・タクーラはガウラ・キショール・ダース・ババジの献身にとても惹かれました。父のバクティヴィノーダ・タクーラも、サラスヴァティ・タクーラにガウラ・キショール・ダース・ババジから正式に入門を受けるよう指示していました。そこでサラスヴァティ・タクールはガウラ・キショール・ダース・ババジに入門をお願いしました。


しかしガウラ・キショール・ダース・ババジは誰も入門させたことがなく、これから入門を授けるつもりもありませんでした。ガウラ・キショール・ダース・ババジはほとんど文字が読めず、サラスヴァティ・タクールは最も博識な学者でした。ですからガウラ・キショール・ダース・ババジは自分のようなシンプルな人がそこまで学識のある人に入門を授けることにふさわしくないと考えていました。しかしサラスヴァティ・タクールは、あらゆる教養も、勉学も、知識もガウラ・キショール・ダース・ババジのような偉大な魂への奉仕に使わなければ無駄だと説明しました。しかし謙虚さから、ガウラ・キショール・ダース・ババジは入門を授けるのを断りました。


サラスヴァティ・タクールの父は正式な入門の大切さを強調していたため、サラスヴァティ・タクーラは謙虚さと献身の心から、再度入門の申し出をしました。しかしガウラ・キショール・ダース・ババジは再度断りました。しかしサラスヴァティ・タクーラの誠意を見て、次に主チャイタニヤに会ったときは、直接主に聞いてみると言いました。


その後、サラスヴァティ・タクールはガウラ・キショール・ダース・ババジに、主チャイタニヤにお会いになられたのか尋ねました。そこでガウラ・キショール・ダース・ババジは主には会ったが、サラスヴァティ・タクーラについて聞くのを忘れてしまったと答えました。


次の再会の時、サラスヴァティ・タクールが同じ質問をすると、主チャイタニヤに入門を授けなくてもいいと言われたと、ガウラ・キショール・ダース・ババジは答えました。それを聞き、サラスヴァティ・タクーラは涙を流しました。「私はこんなにも堕落しているため、あなた、そして主チャイタニヤのご慈悲を受け取るにも値しません。主や主のお仲間のご慈悲がなければ、私に生きていく意味などありません。」そこでサラスヴァティ・タクーラは自分の命を終えることに決めました。そんな彼の純粋な誠意と、主に身を委ねることへの強い思いを目の当たりにしたガウラ・キショール・ダース・ババジは、サラスヴァティ・タクーラに入門を授けることに決めました。


その日、ガウラ・キショール・ダース・ババジはサラスヴァティ・タクールに入門を授けましたが、それが最初で最後でした。


このエピソードから学べる需要なポイントは、ただ学識や教養があっても、愛を学ぶことはできないということです。唯一学べる方法はその愛を実際に手に入れ、理解した人に共有してもらい、教えてもらうことです。サラスヴァティ・タクールはとても博識な方だったのですが、神の献身奉仕と愛について学ぶため、その愛を実際に分け与えることができるガウラ・キショール・ダース・ババジを自身の精神指導者にしたいと望んだのです。


サラスヴァティ・タクールの誓い

自身のグルからクリシュナの聖なる御名を唱える大切さを学んだサラスヴァティ・タクーラは、クリシュナの御名を10億回唱えるという誓いを立てました。計算すると、それは一日ジャパ192周です。主チャイタニヤが降誕なさった場所、ナヴァドヴィーパのヨガ・ピットの小さな小屋で生活しながら、サラスヴァティ・タクールは毎日192周唱えました。そして9年後、クリシュナの名前を10億唱えるという誓いを達成しました。


特別な夢

主の御名を唱える大切さを教わったと同時に、サラスヴァティ・タクールは主チャイタニヤの教えを世界中で広めるよう、ガウラ・キショール・ダース・ババジから指示を受けていました。また父のバクティヴィノーダ・タクーラの夢も、主チャイタニヤの教えが世界中に広めれられることでした。しかし1913年に、バクティヴィノーダがこの世をさり、1915年にはガウラ・キショール・ダース・ババジがこの世を去ってしまい、サラスヴァティ・タクールは超越的な離別の気持ちから、自分にはプリーチングする力はないと思っていました。


そんな中、あるよう、サラスヴァティ・タクールはある夢を見ました。そこではパンチャタトヴァがサラスヴァティ・タクールの前に立っており、主チャイタニヤの交際者たちがみんな踊りながらキールタんを行っていました。そこにはバクティヴィノーダ・タクーラ、ジャガンナータ・ダース・ババジ、そしてガウラ・キショール・ダース・ババジもいました。皆、サラスヴァティ・タクールにこう語りかけました。「世に出て、布教しなさい。私たちはいつもあなたと一緒にいます。あなたの元を決して離れません。あなたに力を授けましょう。あなたは私たちの恩恵を授かっています。あなたが必要な支えや、人も、すべて自然にやってきます。ですからただ教えを広めなさい」


この夢を見た後、サラスヴァティ・タクールは自分の人生の使命を全うする時がやってきたと悟り、サンニャーシーをとることに決めました。しかしグルもこの世を去ってしまい、他にサンニャーシーである兄弟弟子がいなかったため、ガウラ・プールニマの夜、彼はグルの写真を目の前に、サンニャーシーの誓いを立てました。そしてコルカタに行き、布教活動をはじめました。サラスヴァティ・タクールはGaudiya Math (ガウディヤ・マタ)を設立し、たくさんの素晴らしい寺院を建てました。


バクティシッダーンタ・サラスヴァティ・タクールが残した主な3つの教え

1 他の人の欠点を見つける前に自分の欠点を直すこと

2 協力することの大切さ

3 神の聖なる御名を丁寧に唱えることだけで全ては成功する

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